讃岐国多配郷 うなさかのやしろ 考


明徳元年8月3日 中澤壱岐守(左衛門尉)信明は子息弾正信実に宛てて所領の譲り状を書き残した。
その中に記載された「うなさかのやしろ」とは一体どこなのだろうか?

故中澤栄一氏のご研究によれば、現在の高松市多肥町 多肥小学校付近であり、うなさか→ふなさか→ふなと(船戸)と転化して船戸神社となり祀られているとのことである。

丸亀市の友人が高松へゆくとのことであったので、探していただいて写真をとり、インターネットで送っていただいた。

現地にこれといった言い伝えは残っていないようであるが、江戸期高松藩の藩士に中澤氏の名を見ることが出来る。
主君と共に讃岐へ入国したのか、それとも現地の名主クラスとして抱えられたの調べることもできないが、もし、現地で召抱えられたのであれば、室町幕府官僚であった丹波中澤の系統に属するひとであろう。

いま高松市で積極的に郷土史の研究を始められているようであるので、その成果を見守りたいものである。


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