東寺雑掌謹厳上
当寺領丹波国大山庄一井谷内田地五町中澤越前守押妨之間事
副進 勅裁並御教書等拾壱通 目録備之
右、当庄者、為厳重御願□所、自往古、当知行于今無相違之者也。然而彼庄下地内五町中澤子孫動横妨之間、為公方、度々堅依被御下知、迄于去応永末、令全知行之処、其後又守寺家未連刻、無理致押領事、言語道断次第也。所詮、任明鏡之旨、只今預善政御成敗、不日被返付于当寺、全始終御願、弥致一天泰平御祈祷、殊又欲抽御家門繁栄之懇祈、粗、謹言上、如件。
文安弐年十月 日
この文書から、越前守はかねてより「五町田事件」と呼ばれる紛争になっていた、一井谷を支配していたことが理解出来る。以前「五町田事件」に関して、本家の五郎左衛門宣秀が、「分家である中澤田中が支配する処であり、本家に対して訴訟するのはおかしい」と反論していたことから、大山地頭の分家、中澤田中と呼ばれた一族であろうことはほぼ間違いないと思う。
この五町の田は、室町幕府より東寺に帰するものとされ、守護山名氏をして中澤に返還せしめるよう命ずるが、山名は中澤の方に付き、この命令を無視し続けるので、最終的に中澤の領地となってしまった処である。