大   山   落   城

昭和55年8月31日
中  澤  栄  一
大山(おやま)城などというのは近頃の言い方で、土地では出合(であい)または出屋(いでや)の城のほうが親しみ深い感がある。元禄の大山の大絵図には長澤屋敷となっている。
ここで落城に別段の意味は無い。 この日頃、溜っていた伝承や資史料を多少順序だてて書き並べて見ようと思う。
既に落城主に関する伝承類と史料等との対照を一覧表とし「城主を探る」の一篇をものにしておるので、なるべくそれとの重出は避けたいが、城についての雑事を序にここへ投入するかも知れない。
大家、折口先生は歴史の記述は劇か小説になる筈とせられたが、全くその通り、その通りだが望むべくも無い。どうやらこの記も残念乍ら、楊子使いの隅ほじくりのダラダラに終わるのではあるまいか。

(1) 城  址 (2) 経  歴
(3) 明 智 攻 め (4) 母 衣 の 功 名
(5) 余 談 (6) 拾 い 草
◎墓所及び戒名

このファイルの公開について

昭和56年の正月だったと思いますが、京都市下京区にある父の家に筆者の中澤栄一氏が訪ねて下さった時に、自筆の原稿ご持参下さいましたので、早速コピーさせて頂いておりました。
その当時私はまだ郷土史に関する興味もあまりございませんでしたので、そのまま忘れてしまっていたのですが、栄一氏がご逝去になられた後にふと「ガリ版刷りでもいいから何とか本に出来れば・・」と仰っていたのを思いだし、とりあえずパソコンに入力しておいたものです。
当時栄一氏は既にご高齢であり、また、氏のご自筆は独特の癖がありましたので、一字づつ解読して行くことから始めました。そのために、このファイルを作成するまで相当な時間を要しました。校正は十分したつもりですので誤字脱字はほとんど無いと思いますが、残っていたらご勘弁下さい。
なお、この論文は学会に未発表のものですので、研究者が論文や出版物に引用される時は、前もって私にご連絡頂きますようお願い致します。
平成2年4月30日 中澤 勝

トップページへ